舞鶴市内の最後の赤ポスト
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舞鶴の雑学


■ 舞鶴市内にある赤ポスト ■
■舞鶴市内に現存する赤ポスト

  郵便ポストの正式名称は「郵便差出箱」

昔あった丸く赤い郵便ポストの正式名称は「郵便差出箱1号丸型」

舞鶴市に残っている「郵便差出箱1号丸型」は写真の場所に残るだけになりました。
舞鶴市に残る「郵便差出箱1号丸型」の最後の1本は今も現役です。

郵便差出箱1号丸型
現役の郵便差出箱1号丸型がある平野屋商店街

この郵便差出箱1号丸型というポストは、昭和24年(1949年)から使用されました。
本体の高さは約135cmで直径は約40cm。
土台の石の高さは約20cmで土台の直径は約60cm。
※土台のコンクリートは根石と呼ぶそうです。

郵便差出箱1号丸型の郵便回収口
郵便差出箱1号丸型と郵便回収口

写真のポストは手紙を投函する所と郵便局の方が郵便を回収する為の回収口が同じ方向を向いていますが、ポストを設置する場所によっては投函口と回収口の向きは変えられるようになっているそうです。
これは郵便差出箱1号丸型にだけある特徴で、このポスト以前の形には無かったそうです。

昭34新東洋製の名前が読めるポスト裏面
昭34新東洋製

このポストの背面下に製造年と製造した会社だと推測できる文字があります。
何度も何度も上からペンキを塗っている為に少々読みにくくなってますが写真の中に紹介しているように昭34新東洋製と読めます。
昭和34年(1959年)に製造されたポストでしょう。

現役を退いた舞鶴市内のポスト
明倫小学校 校内 池内小学校 校内
明倫小学校 校内 池内小学校 校内
舞鶴市 智恵蔵前 西舞鶴 飲食店前
舞鶴市 智恵蔵前 西舞鶴 飲食店前

■郵便ポストは何故赤いのでしょうか?
郵便ポストは幕府時代の「目安箱」から考え付いた物で、幕府統治の時代に「書状集め箱」として使われていました。
その後の明治5年にはイギリスの郵便ポストを真似て郵便箱になりましたが、当初のポストは丸ではなく角張った長い柱のような物に投函する為の口がついているようなものでした。
その当時の郵便箱は黒い色でしたので、今のように街灯も無い時代では暗くて目立たないという事で苦情も多かったのと、田舎から来た人が「郵便箱」の文字を「垂れ便箱」と読み違って公衆便所として誤使用した事も原因だったと言われています。

赤いポストが出てきたのは明治34年 (1901年)で、試験的に東京の日本橋に最初に設置されました。
その時の赤いポストは鉄製の円筒形のものだったそうです。
その後、明治41年(1908年)に法律でポストの色は赤くすると正式に決められ現在に至ります。

※現在の四角いポストは景観を配慮し赤色でないポストも存在するそうです。
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