中舞鶴憲兵分隊の門
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舞鶴の雑学


■ 陸軍省第十六師団 中舞鶴憲兵分隊の門 ■
陸軍省 第十六師団(京都) 中舞鶴憲兵分隊の門

明治34年に鎮守府が開庁し、翌年の明治35年に1万1000人の余部町が現在の中舞鶴に誕生しました。
余部町は余戸と呼ばれていましたが、軍の用地を確保する為に村人を立ち退かせ、山や田や畑を整地して余部町となりました。

その余部上五丁目の角に交番がありますが、交番の両脇に角の丸い石がいくつも埋め込んである不思議な形のコンクリート製の門柱が立っています。

これは、この場所に陸軍の中舞鶴憲兵分隊があった時の門です。

中舞鶴交番の両脇に立っている門
現在の中舞鶴交番

当時の陸軍省京都師団 憲兵中分隊の建物
当時の陸軍省京都師団 中舞鶴憲兵分隊

 明治29年9月に舞鶴町字紺屋に憲兵屯所が置かれましたが、明治34年に現在の中舞鶴交番の場所に木造2階建ての立派な建物を新築して憲兵屯所が移転してきました。
明治36年4月には中舞鶴憲兵分隊と改称されました。
中舞鶴にあることから憲兵中分隊とも呼ばれていました。

周りを石積みにして高い板塀で囲んだ敷地の入り口には門柱が建てられました。
敷地内には官舎や馬術場と馬小屋、柔術や剣術の鍛錬の為の武道場もあったそうです。

その建物は現在はありませんが、中舞鶴交番の両脇に門柱だけが100年以上経った現在も建ってます。

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