■舞鶴海軍機関学校の校歌
作詞 林 久男
作曲 近藤 義次
1 暁映(も)ゆる青葉山
野は紫に山青く
綾羅(りょうら)の色に染めなして
天地(あめつち)こむる朝ぼらけ
見よ舞鶴の湾頭に
吾等(われら)が根城はそそりたつ
2 真理の光義の力
清き自然の揺籃(ゆりかご)に
高き理想を胸に秘め
雄々しく集う二百人
戸島の沖の碧瀾(へきらん)に
若き雄図(ゆうと)は湧きかえる
3 つつじが丘に春たけて
ゆかしく匂う桜花
太鼓が原に踏みしだく
小草(おぐさ)の露の光にも
男(お)の子の幸を思いては
護国の鬼と誓う哉(かな)
4 それ寂莫(じゃくまく)の夜は更けて
北斗の星の冴(さ)ゆる時
灯火静かに書(ふみ)を繙(と)き
皇国(みくに)の使命想いては
やがて駆馳(くち)せむ艨艟(もうどう)の
機関の脈か血は踊る
5 ああ南溟(なんめい)の空の涯(はて)
狂瀾(きょうらん)吼(ほ)ゆる北の海
吾等の春は遠くとも
渾身血あり生気あり
図南(となん)の意気は大鵬の
羽風に搏(う)たん三千里
舞鶴海軍機関学校
海軍機関学校は、明治26年機関科将校を養成する為に横須賀白浜に設置しましたが、関東大震災により被災。
広島県呉市の江田島海軍兵学校に移転併置の後、大正14年に舞鶴の地に移設されました。
昭和17年機関科の兵科統合に伴い、昭和19年海軍兵学校舞鶴分校と改称。
昭和20年大東亜戦争の終結によりその歴史を閉じました。
卒業生、終戦時の在校生は合計5783名。
舞鶴海軍機関学校 全景
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