■舞鶴湾内 定期航路
平成16年9月30日大丹生集荷場にて行われた定期航路閉鎖式を終え、舞鶴汽船は29年の歴史に幕を閉じました。
明治時代に日之栄汽船が運航をはじめた舞鶴湾内定期航路
当初は中田〜平〜大波〜新川(浜)の間を基本的に運行し、佐波賀へも臨時運行してました。
大正15年には大丹生丸の運航が始まり
高野川尻〜大君〜吉田〜青井〜白杉〜千歳〜大丹生〜浦入間を連絡。
その後、新川(浜)〜浦入間の航路を西大浦農業会(現丹の国農協)が農産物の運搬や住民の足として昭和18年頃に引き継ぎましたが、航路の経営難により、国・京都府・舞鶴市への航路の支援を要請。
昭和50年9月23日に有限会社舞鶴汽船が設立し、同年9月23日に海上運送法に関する免許を受け、10月1日より一般旅客定期航路の運航を開始します。
翌年の昭和51年の9月11日には離島航路整備法を、10月17日には旅客不定期航路事業のに許可を取得し本格的に舞鶴汽船が舞鶴湾内定期航路をスタートしました。
■舞鶴汽船が設立された当時の所有船は5隻
・西 大 浦 丸 定員 93名 東航路
・第三西大浦丸 定員 93名 予備船
・第一大丹生丸 定員 65名 西航路
・第二大丹生丸 定員 70名 西航路
・第三大丹生丸 定員 21名 西航路
■舞鶴湾内定期航路廃止の時には3隻でした。
・ゆうなぎ 定員 80名 東航路
・あさなぎ 定員 80名 西航路
・ち ど り 定員 80名 湾内周遊船
●舞鶴TMO主催の「さよなら舞鶴汽船」イベントの様子 2004/09/26 に実施
西航路 あさなぎ
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湾内周遊船 ちどり |
東航路 ゆうなぎ
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ゆうなぎの操舵室
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ゆうなぎの操舵室
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ゆうなぎの船長
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ゆうなぎの船内客室
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ゆうなぎの船内客室
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ゆうなぎの船上客室
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ゆうなぎの船上客室
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