神崎煉瓦ホフマン式輪窯
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舞鶴の雑学


■ 神崎煉瓦ホフマン式輪窯 ■
  京都市伏見区深草に住んでいた山田宗三郎という方が、舞鶴市の由良川河口右岸の西神崎に、舞鶴軍港の建設に必要なれんがを製造する為、明治30年(西暦1897年)9月に京都竹村丹後製窯所を創業しました。
製造したれんがは、船に乗せて舞鶴港まで運び海軍に納めたという事です。

  初めの頃の京都竹村丹後製窯所の窯は登り窯だったので、れんがを焼く度に窯の火を消さなくてはなりませんでしたが、大正時代の終わりの頃には一部を改良してホフマン式の窯に作り変え、効率良く大量生産できるようになりました。

  舞鶴のホフマン窯は45メートル X 9メートルの楕円形の窯で、内部の大きさは高さが1.8メートル、幅2.8メートルのアーチ型の大きなトンネル形式になっています。
外観は11本の小さなエントツと大きなエントツがありました。

  れんがの材料である原土は、近くの由良川上流から船で毎日数回運んだそうです。
戦後になって、れんがの需要も少なくなったうえに材料の原土も無くなってしまった為に、昭和33年あたりにはれんがの製造も終わりになってしまいました。

  れんがの材料になる土は、由良川上流の上東・下東・水間・蒲江・油江・三日市という地域から毎日何度も船で運んだそうです。
現在残っているホフマン窯は全国で4基あり、すべてのホフマン窯は稼動してないそうです。


現在の神崎煉瓦ホフマン式輪窯 跡
(京都竹後製窯所 跡)
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