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京都府舞鶴市への引揚者等を運んだ引揚船の詳細です。
述べ346隻が就航しました。
※引揚船の画像は入手次第公開していきます
■雲仙丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
3,140 |
速力 |
13 ノット |
登録寸法 |
92.50m X 14.50m |
建造 |
昭和18年 |
船主 |
日本郵船 |
造船所 |
三菱重工 |
備考
昭和20年10月7日、舞鶴引揚第1船として釜山から帰港
舞鶴への引揚は雲仙丸からはじまりました。
1954年(昭29)運輸省航海訓練所(東京)に売却され銀河丸と改名
1955年(昭30)日本鋼管浅野船渠(横浜)で練習船に改造
1972年(昭47)解体 |
■白龍丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
3,181 |
速力 |
13 ノット |
登録寸法 |
99.20m X 14.30m |
建造 |
昭和18年 |
船主 |
大阪商船 |
造船所 |
函館船梁 |
備考
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■長鯨 |
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船種 |
潜水母艦 |
総トン数 |
2,890 |
速力 |
35.5 ノット |
登録寸法 |
137.16m X 12.04m |
馬力 |
57,900PS |
船主 |
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造船所 |
軍艦 |
備考
昭和17年5月8日(金)潜水母艦「長鯨」と伊153潜水艦が伊予灘で衝突。
昭和20年7月29・30日の両日、舞鶴は米艦載機による本格的な空襲を受け、舞鶴海軍工廠、宮津湾・伊根湾などに停泊していた艦艇などが攻撃されましたが、その時宮津と同じく泊地となっていた伊根湾にも米艦載機が飛来、爆弾が潜水母艦「長鯨」の艦橋に命中し105人が戦死、100人以上が負傷。
伊根町には潜水母艦「長鯨」英霊之碑があり、「昭和二十年七月三十日 伊根湾内にて米機の攻撃により戦死せし潜水母艦長鯨乗員中 百五霊冥福の為」の文字が記載されています。 |
■間宮丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
1,125 |
速力 |
11.5 ノット |
登録寸法 |
64.00m X 10.00m |
建造 |
昭和 4年 |
船主 |
大阪商船 |
造船所 |
播磨造船所 |
備考
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■朝輝丸 |
Non Picture |
船種 |
貨客船 |
総トン数 |
926 |
速力 |
11.8 ノット |
登録寸法 |
57.30m X 9.40m |
建造 |
昭和14年 |
船主 |
西海汽船 |
造船所 |
大阪中田 |
備考
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■大久丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,901 |
速力 |
8ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和19年 |
船主 |
太洋海運 |
造船所 |
川南工業 |
備考
1950年(昭25)日立造船(向島)で改造
1959年(昭34)橋本汽船(神戸)に売却され「けいゆう丸」と改名
1964年(昭39)解体 |
■恵山丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,891 |
速力 |
10 ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和20年 |
船主 |
日本郵船 |
造船所 |
三菱廣島 |
備考
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■明優丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,868 |
速力 |
11 ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和20年 |
船主 |
明治海運 |
造船所 |
香焼島造船 |
備考
1951年(昭26)改造
1956年(昭31)富士汽船(東京)に売却され「泰明丸」と改名
1959年(昭34)平山金属(尾道)に売却〜解体 |
■遠州丸 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
3,140 |
速力 |
13 ノット |
登録寸法 |
92.50m X 14.50m |
建造 |
昭和18年 |
船主 |
日本郵船 |
造船所 |
三菱重工 |
備考
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■信濃丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
6,524 |
速力 |
10 ノット |
登録寸法 |
135.60m X 15.00m |
建造 |
明治34年 |
船主 |
日魯漁業 |
造船所 |
英国 |
備考 引揚とは関係無ありませんが、この信濃丸が日本海海戦の際にバルチック艦隊を発見し「敵艦隊ラシキ煤煙見ユ」の第一報を送りました。
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■辰日丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,890 |
速力 |
10 ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和20年 |
船主 |
内外汽船 |
造船所 |
三菱・廣島 |
備考
1950年(昭25)日立造船(因島)で改造
1961年(昭36)解体 |
■大瑞丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,872 |
速力 |
9ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和20年 |
船主 |
大阪商船 |
造船所 |
香焼島造船 |
備考
1950年(昭25)日立造船(因島)で改造
1956年(昭31)三光汽船(大阪)に売却
1963年(昭38)名古屋で解体 |
■栄豊丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,880 |
速力 |
10 ノット |
登録寸法 |
129.92m X 18.20m |
建造 |
昭和20年 |
船主 |
日本郵船 |
造船所 |
石川島造船 |
備考
1951年(昭26)正福汽船(東京)に売却
1951年(昭26)函館船渠(函館)で改造
1963年(昭38)解体 |
■永徳丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,923 |
速力 |
9.5 ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和19年 |
船主 |
日本郵船 |
造船所 |
石川島造船 |
備考
1950年(昭25)西日本重工業(長崎)で改造
1955年(昭30)東邦海運(東京)に売却
1962年(昭37)新和海運(東京)に移籍
1963年(昭38)解体 |
■英彦丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,889 |
速力 |
10 ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和20年 |
船主 |
日本郵船 |
造船所 |
石川島造船 |
備考
1951年(昭26)三菱造船(長崎)で改造
1956年(昭31)小谷汽船(大阪)に売却
1964年(昭39)Eastern Liberiaに売却しEASTERN CARRIERと改名
1966年(昭41)和歌山県の下津沖で座礁 |
■大郁丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,890 |
速力 |
9ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和19年 |
船主 |
大阪商船 |
造船所 |
石川島造船 |
備考
1972年(昭47)Polish Steamshipに売却、「Jong Dzin」と改名
1979年(昭54)北朝鮮に売却、「Yong Jin」と改名 |
■信洋丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,888 |
速力 |
9.5 ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和20年 |
船主 |
東洋汽船 |
造船所 |
三菱・神戸 |
備考
1961年(昭36)解体 |
■米山丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,907 |
速力 |
10 ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和20年 |
船主 |
板谷商事 |
造船所 |
日立神奈川 |
備考
1950年(昭25)三井造船で改造
1960年(昭35)売却〜解体 |
■第一大拓丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,888 |
速力 |
9ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和20年 |
船主 |
大阪商船 |
造船所 |
三井・玉野 |
備考
1957年(昭32)大光商船(大阪)に売却
1963年(昭38)三井物産(東京)に売却
1963年(昭38)広島で解体 |
■永禄丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,923 |
速力 |
9.5ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和19年 |
船主 |
日本郵船 |
造船所 |
日立神奈川 |
備考
1950年(昭25)西日本重工業(長崎)で改造
1955年(昭30)東邦海運(東京)に移籍
1957年(昭32)旭海運(東京)に売却
1963年(昭38)尾道で解体 |
■山澄丸 ※戦時標準型貨物船・改A2型 |
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船種 |
貨物船 |
総トン数 |
6,859 |
速力 |
8ノット |
登録寸法 |
129.90m X 18.20m |
建造 |
昭和19年 |
船主 |
山下汽船 |
造船所 |
香焼島造船 |
備考
1945年(昭20)山口県吉見沖で触雷の為破損したが戦後に修復
1951年(昭26)改造
1956年(昭31)中村汽船(神戸)に売却され「朝波丸」と改名
1963年(昭38)解体 |
■高砂丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
9,347 |
速力 |
19ノット |
登録寸法 |
142.10m X 18.50m |
建造 |
昭和16年 |
船主 |
大阪商船 |
造船所 |
三菱・長崎 |
備考
戦禍を免れ、引揚者輸送に台湾航路用に建造。
戦時中は海軍病院船として活躍。
戦後は主として満州・シベリアからの輸送に従事。
1956年(昭和31年)3月、境港にて解体。 |
■新興丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
2,577 |
速力 |
11ノット |
登録寸法 |
90.80m X 13.72m |
建造 |
昭和13年 |
船主 |
東亜海運 |
造船所 |
浦賀船渠 |
備考
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■北鮮丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
2,256 |
速力 |
10ノット |
登録寸法 |
76.72m X 13.26m |
建造 |
大正13年 |
船主 |
日本海船 |
造船所 |
カナダ |
備考
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■宗谷丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
3,593 |
速力 |
11ノット |
登録寸法 |
94.49m X 14.17m |
建造 |
昭和 7年 |
船主 |
運輸省 |
造船所 |
横浜造船所 |
備考
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■朝嵐丸 |
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船種 |
油槽船 |
総トン数 |
7,394 |
速力 |
10ノット |
登録寸法 |
135.94m X 不明 |
建造 |
明治33年 |
船主 |
日本郵船 |
造船所 |
バークレイル・カール |
備考
戦利品 :旧船名レーク・チャンプレン号 旧国籍イギリス
海軍籍船:海軍の運行管理船だが乗組員の配乗は日本郵船に委託 |
■白山丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
4,531 |
速力 |
14ノット |
登録寸法 |
109.20m X 15.00m |
建造 |
昭和15年 |
船主 |
日本海汽船 |
造船所 |
浦賀船渠 |
備考
白山丸の速力表示は1/2載時のもの
昭和33年9月7日の白山丸を最後に引揚船の舞鶴入港の幕を閉じた。 |
■興安丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
7,079 |
速力 |
20ノット |
登録寸法 |
127.50m X 17.46m |
建造 |
昭和11年 |
船主 |
運輸省 |
造船所 |
三菱・長崎 |
備考
元関釜連絡船(金剛丸型)
戦後邦人引揚船(仙崎・博多−朝鮮)、
1947年下関で天皇陛下御宿泊所(全国巡幸時)、
1950年朝鮮郵船(後の東洋郵船)に国家賠償として払下げ
1950年〜1953年朝鮮戦争時、米軍に傭船され軍事輸送(佐世保−釜山)、
1953年邦人引揚船(舞鶴−中国・ソ連)
1958年4月よりクルーズ事業開始、東京に係留してレストラン船、のちイスラム巡礼船
1970年三原で解体 |
■北斗丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
2,267 |
速力 |
8.6ノット |
登録寸法 |
82.30m X 12.42m |
建造 |
大正12年 |
船主 |
日本郵船 |
造船所 |
不明 |
備考
1976年(昭51)売却 |
■大成丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
3,601 |
速力 |
9ノット |
登録寸法 |
103.60m X 14.13m |
建造 |
明治33年 |
船主 |
嶋谷汽船 |
造船所 |
不明 |
備考
1982年(昭57)売却され解体 |
■こじま |
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船種 |
練習船 |
総トン数 |
852 |
速力 |
17ノット |
登録寸法 |
72.50m X 9.10m |
竣工 |
昭和20年3月20日 |
船主 |
海軍〜海上保安庁 |
造船所 |
佐世保工廠 |
備考
1944年(昭19)海防艦「志賀」として佐世保海軍工廠で進水、終戦まで就役。
1946年(昭21年)米軍連絡船として博多、釜山間に就航。
1950年(昭25)中央気象台定点観測船「志賀丸」として就航。
1954年(昭29)海上保安庁に引き継がれ「こじま」と改名。
1956年(昭31)在留邦人36名を北朝鮮遮湖(チャホ)港から舞鶴港へ移送
1956年(昭31)在留邦人23名をソ連ナホトカ港から舞鶴港へ移送
1964年(昭39)廃役し呉港に係留
1965年(昭40)千葉市に払い下げ
1966年(昭41)から1993年(平5)まで海洋公民館
1998年(平10)解体 |
■進徳丸 |
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船種 |
貨客船 |
総トン数 |
2,777 |
速力 |
不明 |
登録寸法 |
85.30m X 13.40m |
建造 |
大正12年 |
船主 |
運輸省 |
造船所 |
神戸 |
備考
1984年(昭59)売却 |
■リバティ型船 ※アメリカ戦時標準型貨物船 |
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船種 |
貨持船 |
総トン数 |
7,176 |
重量トン |
10,572 |
航海速力 |
10ノット 最強速力12ノット |
登録寸法 |
148.00m X 18.70m |
舞鶴就航 |
26隻 |
造船所 |
アメリカ |
備考
アメリカ戦時標準型貨物船であるリバティ型船は、2週間という短期間で進水し、最盛期には日産5隻を建造し、戦争中2,850隻建造されました。
戦後、復員船用としてアメリカより100隻の貸与を受け、内26隻が舞鶴の引揚に従事。
●舞鶴の引揚に使われたリバティ型船
V 2号 |
V 7号 |
V 17号 |
V 24号 |
V 27号 |
V 28号 |
V 29号 |
V 37号 |
V 39号 |
V 44号 |
V 45号 |
V 53号 |
V 57号 |
V 61号 |
V 68号 |
V 69号 |
V 70号 |
V 74号 |
V 76号 |
V 79号 |
V 82号 |
V 86号 |
V 92号 |
V 97号 |
V 99号 |
V100号 |
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引揚の地 舞鶴に戻る
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