大川神社の石灯籠に伝わるお話
舞鶴うぉーかーのタイトルロゴ


■CONTENTS■
舞鶴の伝説 トップ


■ 大川神社の石灯籠の謎 ■
■大川神社の大きな石灯籠に伝わるお話

  舞鶴市の由良川の近くに大川神社という由緒ある神社があります。
その神社の前に建っている大きな石灯籠のお話です。

  通常、神社に建立されている石灯籠の正面には奉納等の文字が入り、制作者の名前は裏面に刻むものです。
しかし、この石灯籠の正面には制作者の名前だと思われる「由良村・澤井某」の文字が刻まれています。
※由良村・澤井某(ゆらむら・さわい なにがし)

大川神社の石灯籠

  このお話は綾部の八幡宮の氏子に伝わるお話です。

  綾部市の宮代町にある綾部八幡宮。
神社の北側、井倉方面参拝すると、鳥居の右側に1基だけ高さ3メートル程の大きな石灯籠があります。
神社に灯篭があるのは当たり前で不思議でもなんでも無いんですが、通常は狛犬も石灯籠も二基で一対が普通です。

しかし、綾部八幡宮には神社に向かって右側に一対しかない為に対になっていません。
何故なんでしょうか?

  この一基しかない石灯籠の謎は1867年にさかのぼります。
前年の1866年の慶応2年に孝明天皇が崩御(亡くなられた)し、明治天皇が即位。
灯籠の後の面に慶応3年の文字があることから、当時の井倉村の住民がその即位を記念して寄進した物と考えられています。

  この石は由良石と呼ばれる花崗岩で、名前の通り丹後由良で掘り出された石。
地元の由良の石工が造ったもので注文は二基一対。
時代は江戸から明治に移ったばかりで、高さ3メートルもある石灯籠を由良の地から綾部まで輸送するには、船に積み込んで由良川をさかのぼるのが一番早く楽な手段でした。

  由良の地で二基の石灯籠を積み込んだ運搬船は、綾部の大島の船着場に向かって由良川をさかのぼりますが、由良の地から上流に8kmほど進んだあたりで船は荷崩れを起こしてしまい、石灯籠の一基が深さ数メートルの由良川の海底に沈んでしまいました。
その結果、綾部の八幡宮には残った右側の石灯籠だけが建立されました。

じゃあ、由良川に沈んでしまった石灯籠はというと…

  石灯籠が沈んだ所の近くにある大川神社と八幡宮との話し合いの末、由良川の底から石灯籠を引揚げ、大川神社の鳥居の前に建てたと綾部の八幡宮の氏子の間に伝わっているそうです。

  現在、大川神社には綾部八幡宮と全く同じ大きさの石灯籠が二基一対あります。
神社に向かって左側の石灯籠には灯籠を造った職人だと思われる名前が刻んであります。
通常の石灯籠の全面には「奉納」等の文字が入り、制作者の名前は裏面に刻むものですが、この石灯籠の全面には制作者の名前であろう「由良村・澤井某(なにがし)」と刻まれています。

また不自然な事に、寄進された年月日も刻まれておりません。

  綾部八幡宮の氏子の間に伝わる話を元に考えたなら、現在の大川神社の鳥居の前にある石灯籠のどちらかが由良川から引揚げられた石灯籠であり、もう片方は引揚げられた石灯籠にあわせて新たに作られ建立されたという事になります。

  この話を大川神社の宮司さんに問い合わせた所…
「どちらの石灯籠も寄進帳に記録されてないし、そんな話を聞いたのも初めてだ。」
そう言って驚いていたそうです。

真相はどうなんでしょうか?

メニューに戻る

© 2004 Maizuru-Walker All rights reserved
inserted by FC2 system