雄島づけ(おしまづけ):船の接岸方法
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舞鶴の伝説


■ 雄島づけ ■
■雄島づけ(おしまづけ)

舟の接岸方法

  磯釣りなどをする時、舟で磯まで連れて行って貰うわけですが、舟の先を磯に「ゴツン」と当てて前進するように少しエンジンを吹かして舟を安定させ、そのスキ?に磯に降りるという感じの接岸方法を「雄島づけ」と言います。

そのような接岸を便利に行う為なのか、磯釣りの人間などを運ぶ船(漁船)は船首の部分が長くなってるのをよく見かけます。
他の目的の舟でも時々見かけますが、フィッシングボートなどや漁船で多く見かけます。

雄島づけされた渡船から島に渡る様子

しかし、昔は舟の後方を岸につけて乗降りをするのが定石だったとの事ですが、どういったキッカケで舟の頭から接岸するようになったのでしょう?

京都府舞鶴市の沖合いに、冠島という島があります。
冠島は大島とも老人島(おいとじま)とも雄島とも呼ばれる島で、航海安全や豊漁の守り神である、老人島神社がある島です。

その雄島を巡って舞鶴の田辺藩と宮津市の宮津藩との間で領地の争いがありました。
舞鶴からも宮津からも同じくらいの距離でしたから、どちらも譲りませんでしたが、最後には話し合いになり、その話し合いの結果、舞鶴藩からも宮津藩からも距離が同じなら、両藩同時刻に出発して、早く上陸した藩が雄島を領地として所有できる事にしようと決定。

雄島を所有する事ができれば領地も増えますし漁場も増えます。
両藩の漁師も力が入りますので、よりすぐった漕ぎ手を両藩共に用意をして、いざ本番。
太鼓を合図に両藩がスタートし、抜きつ抜かれつ状態の名勝負に両藩おおはしゃぎ。

しかし、後半は圧倒的に宮津藩の漕ぎ手が早く冠島に着き、上陸の為に舟を旋回させて舟のお尻から接岸しようとした時に、少し遅れて来た田辺藩の舟がガリガリ〜!っと、へさきから磯へ乗り上げて先にゴール。

その結果は宮津藩よりも早く上陸した舞鶴の田辺藩の勝利により、雄島は田辺藩の領地になったという事です。

定法通りに船の後から磯に着けようとしてる間に、ルールを無視した接岸方法で先に着いた田辺藩が勝利したというお話です。

それからは、磯に頭から接岸する事を「雄島づけ」と言うようになり、現在では接岸方法の一つとして日本全国で当たり前になっています。


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