蛇ケ池の大蛇退治
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舞鶴の伝説


■ 蛇ケ池の大蛇退治 ■
■蛇ケ池の大蛇退治(舞鶴市岡安)

朝来岡安の北端の峠の上に大きな池があって蛇ヶ池と呼ばれていました。
昔、この池に大蛇が棲んでいたというお話。

登尾へ越す峠道を左右二本作って午前には西の方の道を通り、午後には東の方の道を往き来したくらいに人々は蛇が池を恐れていました。
蛇ヶ池のそばに立ち寄る時には影を呑まれると信じられていたからです。

そのころ、志楽の泉源寺村に美しい娘を持つ殿さんといわれる豪族がいました。
その娘のところへ夜ごとに忍んで通ってくる若い男がいたそうです。
両親はこのことをたいそう心配して、ある夜ひそかに長い糸を針に付けて男が脱ぎ忘れた袴の裾に縫いつけておきました。
翌朝になって両親がこの糸をたぐってゆくと、娘の部屋から抜けた糸は戸の節穴から外へ出ておりました。

さらにたぐってゆくと、泉源寺から安岡を通って朝来の岡安まで続き、峠にある蛇ヶ池と呼ばれる池のなかへと糸の先が消えていました。
夜ごと娘のもとへ通ってきていた男は池の主の大蛇が化けていた姿だったのです。

両親は大いに驚き、村に帰るとさっそく村人を集めて討伐にかかりました。
大蛇は池を追い立てられて中山まで逃れ出ましたが、この討手のなかに希代の弓の名人がいたものですから、さすがの大蛇も退治されてしまいました。

その大蛇が逃げる途中に6人の村人の身体を呑んだので、後に白屋の下にお堂を立てて六地蔵として祀ったと云われています。

この大蛇を射止めた場所は「蛇死」と呼ばれています。
この蛇ヶ池のあった場所は「蛇ヶ首」と呼ばれていますが、現在蛇が池はありません。

●蛇が池があっただろうと言われている場所。
現在の国立舞鶴工業高等専門学校(舞鶴高専)の近くに舞鶴市青葉山麓公園(グリーンスポーツセンター)があります。
そのグリーンスポーツセンターから登尾・笹部口方面に進むと小高い丘のような峠に差し掛かります。
その峠の付近に蛇が池があったと言われています。

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