アロハ桜(中舞鶴・共楽公園)
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舞鶴の伝説


■ アロハ桜(中舞鶴・共楽公園) ■
※アロハ桜(中舞鶴・共楽公園)

舞鶴の桜の名所のひとつ「共楽公園(きょうらく こうえん)」は、中舞鶴の大きな交差点の横にある小高い山にあります。
毎年四月上旬に開催される「桜まつり」には大勢の花見客で賑わう公園の山頂から西側へ少し下りた所に、日本とアメリカの国旗が揚げられた大きな桜の木と石碑が建っている所があります。
これがアロハ桜。

このアロハ桜のお話です。

明治二十二年に舞鶴に軍港設置が決定し、明治三十四年に中舞鶴に海軍鎮守府が開庁して、舞鶴は戦争の重要な軍事基地となっていきます。
時を同じくして、全国各地から多くの日本人が、ハワイやブラジルなど海外に移住して行った時代でもありました。

昭和二十年八月十五日に終戦を迎え、戦争の勝者であるアメリカ軍がゾロゾロと舞鶴に進駐してきました。
昭和二十年十月二十七日からアメリカ軍を中心として進駐してきた連合軍は三百二十人で、約二十名のハワイ出身の日系二世部隊の隊員も含まれていました。

その中にGHQ(連合軍最高司令部)直轄のCIC舞鶴分遣隊隊長として引揚港舞鶴に駐留したタカギ氏という方が居ました。

或る日、タカギ氏は仕事の暇をさいて岩国に住む両親の家を訪ねます。
そして両親に、長く会えなかった事を詫び、「このマネーで家を立ててください。」と貯めていたお金を差し出しましたが、タカギ氏の母親は「あなたに会えてうれしいが敵国のお金は要らない。そのお金は苦しんでいる日本の人達の為に役立ててくれ。」と泣いて答えます。

それ以降、この荒廃した街や人々の心を癒すには何をどうすればよいのかと、タカギ氏は何日も考え悩み続けた末に思い浮かんだのが日本に来て初めて対面した本物の「桜の花」。
「そうだ!あの焼け野原で力強く咲いていた美しい桜に平和と復興の願いを込め、桜の苗木を贈ろう!」と決意したタカギ氏は、思い立つと直ちに造園のまち池田(大阪府)へ軍のジープで走り、持ち金をはたいて桜の苗木を注文します。

しかし後日に東舞鶴の駅に苗木が届いた時は朝鮮戦争が始まる頃で、既に転勤命令が出されていたタカギ氏には苗木の植樹を手配する時間すら残っていません。
その時偶然にも駅の構内にいたMIS(情報通訳部隊)日系二世の兵士二人に出会ったタカギ氏は、その兵士に事情を話し植樹を依頼し、舞鶴を後にして去って行きました。

その後、駐留していたタカギ氏に依頼された日系二世兵士を中心に植樹の協力者が増え、桜の苗木(ソメイヨシノ)七十本は、共楽公園をはじめ引揚港から中舞鶴にかけて付近の学校や公園に植えられていきました。
その桜の苗木は日米友好のシンボル「アロハ桜」と名付けられ、今も共楽公園に訪れる多くの市民から親しまれています。

桜の苗木がどうなったか知らないまま50年近く経った後、タカギ氏は舞鶴に招待されました。
そして、大きく育った桜を見て感激されたそうです。
そのタカギ氏も亡くなられましたが、アロハ桜は中舞鶴の有志の皆さんや中舞鶴の和田中学校に通う生徒の皆さんの手によって守られています



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