城屋の揚松明(じょうやのあげたいまつ)
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舞鶴の伝説


■ 城屋の揚松明(じょうやのあげたいまつ) ■
■城屋の揚松明(じょうやのあげたいまつ) :城屋
※京都府無形民俗文化財に指定

毎年8月14日に雨引神社に奉納される奇祭とも呼ばれる火祭り。


●城屋の揚松明の由来
一五五六(弘治二)年、丹後守護の一色氏が統治していた時代のお話。
ここの城屋地区は一色氏の家臣である森脇宗坡(そうは)が治めていました。

宗坡の娘は隣村にお嫁に行きましたが、里帰りのため山中の日浦ケ谷を歩いていた時に、大蛇が突然現れてアッという間に娘を飲み込んでしまいました。

その知らせを聞いた父親の宗坡は弓と槍で敵討ちに向かいます。
炎を吐きながら宗坡に挑んでくる大蛇を、死闘の末に退治すると、その胴体を三つに切断。

そしてその三つに切断した大蛇の体を神社に祀りました。

その神社とは…
 頭 : 雨引神社(城屋)
 胴 : 中之森神社(同市野村寺)
 尾 : 尾森神社(同市高野由里)

城屋地区では水不足に悩まされていた為に、以前から雨ごいの儀式が行われていましたが、大蛇を合祀(ごうし)した後、「揚松明」を奉納するようになりました。
それ以降は、干ばつに見舞われる事が少なくなったそうです。


この大きな松明の高さは五丈三尺(約一六メートル)
これは退治された大蛇の体の長さだそうです。

以前は深夜0時頃から始められていた揚松明ですが、現在は午後8時頃に氏子の皆さんが集って川で身を清めた後、午後10時頃から小松明を持ち5丈3尺(約16m)以上の大松明にむかって叫びながら投げて点火します。

松明が天高く投げられ、暗闇の中に幾本もの火のアーチが浮き上がる光景は幻想的。
大松明が燃え尽きる前に氏子達が大松明を倒しますが、その様相や火の粉が舞う光景は壮大です。

その松明の投げ役は地元の高校生から二十五歳の男性に限定されるそうです。


城屋の揚松明(じょうやのあげたいまつ)

氏子の若者が一斉に小松明を投げ上げます
氏子の若者が一斉に小松明を投げ上げます。


2012年の城屋の揚松明の様子です。
こころよく掲載を許可して頂いたpuwapowaさん、有難う御座います。
ホームページを見て頂いた方から提供して頂いた城屋の揚松明の画像を掲載しておりましたが、その画像について無断流用とのご指摘のメッセージがありました。
発信者のメールアドレス等の連絡先の無いメッセージでしたので、名前を騙ってのイタズラの可能性も高いですが掲載していた画像を削除しております。
御了承ください。


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