岩谷の地蔵(与保呂)
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舞鶴の伝説


■ 岩谷の地蔵(与保呂) ■
※岩谷の地蔵(与保呂)

岩谷の地蔵(与保呂)

 むかし、細川藤孝(幽斎)の息子の細川忠興が田辺城の城主だった頃のお話です。

 その時代では、旅をする時には庄屋さんや代官所の許可が必要で、許可証が無ければ関所を通ることが出来ませんでした。

 そんなある日の事、ふらふらとした足取りで二人の年老いた巡礼が道に迷って与保呂の村にやってきました。二人の巡礼はこれ以上あるく事は出来ないくらい体が弱り切っており、話をする事も出来ないくらいでした。 村人がどこから来たのかと尋ねても二人の巡礼は返事がありません。許可証は持ってるのか?と尋ねると首を横に振るだけで、許可証を落として無くしたのかも分からずじまい。

 与保呂の村の人たちは、二人の年老いた巡礼をいっしょう懸命に、おもゆを作って飲ませたりして手厚く看護しました。 二人の年老いた巡礼は、村の人たちの手厚い看護のおかげで少し元気になりました。少し話せるようになった巡礼は、自分のお腹を指さしながら村の人たちに小さな声で「ありがとうございます。」と言ったきり、口をきかなくなりました。 二人の巡礼は亡くなってしまったのです。

 村の人は、巡礼が指をさしていたお腹に巻いてあるさらし木綿をほどいてみると、そこから黄金小判がたくさん出てきたので、それを見た村の人たちはビックリ。 年老いた二人の巡礼は大金を持っていたのでした。

 村の人たちは相談をして、二人の巡礼のお葬式をしてあげる事にし、二人の巡礼の為に地蔵堂を建てておまつりしましたが、まだまだお金があまりました。 村人たちみんなで話し合い、あまったお金でお地蔵様用の畑を買い求め、後々の法要の費用にあてることを取り決めました。 そして、その後は村の人たちのよって毎年七月三日と十一月の二回、ささやかな地蔵祭りが行われ、二人の巡礼の供養が続けられているということです。

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